2012年05月17日 (木) | 編集 |
こんばんは。
あの頃の想いの続きをまだUPできていなくてすみません。
最近、出会う人出会う人に刺激を受けることが多い。
出会いに恵まれているなぁと感謝。
銀座の佐人というお茶のお店に、連れて行っていただいた。
店主のお父さんが、
「こんなことを言って気を悪くされないでね、ごめんね。」
という前置きの後、
「人生観が変わったでしょう。怖いものなしだね。」
とおっしゃった。
うん、それが、そうでもないかもしれない。
なんだかんだと、人が怖いのだよ、私は。
人間ほど、予測不可能で怖いものはない。
とはいえ、
店主のお茶目で大らかな人柄と、
(どうやら、素敵な殿方を紹介していただけるそうだ!)
素朴だけれど力強いお茶に乾杯。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、
一緒にいて心地がいい人が紹介してくださる方というのは、
やはりまた、心地がいい方。
時々不安にはなる。
けれども、不安を乗り越えてこそ、見えるものがあるのだろう。
人を信じるということは、とても勇気がいること。
でも、その勇気を持たなければ、始まらないことがある。
あの頃の想いの続きをまだUPできていなくてすみません。
最近、出会う人出会う人に刺激を受けることが多い。
出会いに恵まれているなぁと感謝。
銀座の佐人というお茶のお店に、連れて行っていただいた。
店主のお父さんが、
「こんなことを言って気を悪くされないでね、ごめんね。」
という前置きの後、
「人生観が変わったでしょう。怖いものなしだね。」
とおっしゃった。
うん、それが、そうでもないかもしれない。
なんだかんだと、人が怖いのだよ、私は。
人間ほど、予測不可能で怖いものはない。
とはいえ、
店主のお茶目で大らかな人柄と、
(どうやら、素敵な殿方を紹介していただけるそうだ!)
素朴だけれど力強いお茶に乾杯。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、
一緒にいて心地がいい人が紹介してくださる方というのは、
やはりまた、心地がいい方。
時々不安にはなる。
けれども、不安を乗り越えてこそ、見えるものがあるのだろう。
人を信じるということは、とても勇気がいること。
でも、その勇気を持たなければ、始まらないことがある。
2012年05月08日 (火) | 編集 |
Laika Came Back 車谷さんのギターと歌声に癒された。
車谷さんと、彼を通じて繋がった出会いに感謝。
細身で決して高いとはいえない身長に童顔の車谷さん。
だけど、優しくはかなげ、それでいて力強く身体を揺らして弾く姿は、相変わらずかっこいい。
再々発前までは、ライブにはあまり行かなかったなぁ。
ひとりで行くことはなかったし、たまに…1年に一回くらい友人と出かけていた。
それも、オールスタンディングの小さめライブハウスに初めていったのは、まさに再々発して入院中の外出時だった。
(今回の車谷さんは、座りだったのだけれども)
もうライブに行ける機会はないかもしれない。
そう思うといてもたってもいられず、生の車谷さんの音楽を聞いてみたい…そう思って恵比寿リキッドルームにひとりで乗り込んだ。
真ん中より少し後方で…健康なひとのふりをして、周囲の人たちと同じように振る舞ってはみたけれど、途中からは貧血とZIMAのアルコールにくらくらしつつ、端のほうにある階段でしゃがみこんで、青く揺れる車谷さんを眺めていた。
夢を見ていたような。
その数週間後、更に具合が悪くなり、わずかばかりの望みも打ち砕かれて、どんな優しい音楽も心に響かず、どんな前向きな言葉も薄っぺらく聞こえて、音楽なんて聞きたくもないという日々が続いた。
移植して1年ほどたって、ようやく、世の中に流れる音楽を聴けるようになった。
不思議なものですよね。
私があの頃の想いを、今また綴るのは、この言葉が役立つ人がひとりでもいらっしゃるから、
私にストレートにしてくれる質問は、本当にありがたいのです。
病気の方もそうでない方も、ただの興味でも、真剣でも、なんでもいい、
私なんかの経験で、何かしら生きる勇気みたいなものを伝えることができたらいいなと、
単純に考えています。
音楽を聴くことすら忘れていた頃。
そう、私の命はもうすぐ終わるのだと知ったとき、あと数週間で動くことすらできなくなり、身体が痛みに支配られるのだと告げられたとき、残りの時間をどうすごそうかと考えた。
動けなくなる前に、自分の足で歩けるうちに、行きたいところに行っておかなければ…そう強く思った。
そうして、海外に行こうと企てた。
将来に備えてコツコツ貯めてきた貯金で、行きたいところにいって遊んでやるんだと。
国内も、行ってみたい場所はたくさんあったんです。
もっともっと見たい景色があった。
でも、期限があるから、選ばなければいけない。
屋久島と旭山動物園にも行きたくて、海外から戻ってきてまだ動けたら行こうねって妹と約束してました。
その時は、叶いませんでしたが。
スペインとフランスに行こうとしたとき、現地で倒れて、生きたまま戻って来れないかもしれないと言われました。
それでも決行したのは、どのみち、先がないとわかっていたからだ。
人はいずれ皆亡くなる。
そして私はあとひと月しか生きられない。
どの道死ぬのであれば、どこで死ぬかではなくどう死ぬかを大切にしたい。
病院のベッドで過ごす時間はできるだけ少なくしたい。
最後の時間をどう過ごすかを大事にしたい。
やりたいようにやらなきゃ、死ねないんだと、そう思った。
身辺整理と、お葬式の準備と、残った時間をいかに充実させるか。
そのことしか頭になかった。
人は一人で生まれて来て、一人で死にゆくといえども、
やはり本当に一人では生まれて育つことはできないし、
この世を去る時も、人と関係なく死んでいくことはできない。
そういうことを、いずれ身に染みて分かることになるのだけれども、
あの頃の私には、そこまで周囲を考える余裕もなかった。両親の思いすらも。
自分なりに後悔のない人生だったとはいえ、やはり志は半ばなのだから、
その中で最期くらいは、思いきり充実させるんだという、
そういう思いで海外に飛び立ったのでした。
車谷さんと、彼を通じて繋がった出会いに感謝。
細身で決して高いとはいえない身長に童顔の車谷さん。
だけど、優しくはかなげ、それでいて力強く身体を揺らして弾く姿は、相変わらずかっこいい。
再々発前までは、ライブにはあまり行かなかったなぁ。
ひとりで行くことはなかったし、たまに…1年に一回くらい友人と出かけていた。
それも、オールスタンディングの小さめライブハウスに初めていったのは、まさに再々発して入院中の外出時だった。
(今回の車谷さんは、座りだったのだけれども)
もうライブに行ける機会はないかもしれない。
そう思うといてもたってもいられず、生の車谷さんの音楽を聞いてみたい…そう思って恵比寿リキッドルームにひとりで乗り込んだ。
真ん中より少し後方で…健康なひとのふりをして、周囲の人たちと同じように振る舞ってはみたけれど、途中からは貧血とZIMAのアルコールにくらくらしつつ、端のほうにある階段でしゃがみこんで、青く揺れる車谷さんを眺めていた。
夢を見ていたような。
その数週間後、更に具合が悪くなり、わずかばかりの望みも打ち砕かれて、どんな優しい音楽も心に響かず、どんな前向きな言葉も薄っぺらく聞こえて、音楽なんて聞きたくもないという日々が続いた。
移植して1年ほどたって、ようやく、世の中に流れる音楽を聴けるようになった。
不思議なものですよね。
私があの頃の想いを、今また綴るのは、この言葉が役立つ人がひとりでもいらっしゃるから、
私にストレートにしてくれる質問は、本当にありがたいのです。
病気の方もそうでない方も、ただの興味でも、真剣でも、なんでもいい、
私なんかの経験で、何かしら生きる勇気みたいなものを伝えることができたらいいなと、
単純に考えています。
音楽を聴くことすら忘れていた頃。
そう、私の命はもうすぐ終わるのだと知ったとき、あと数週間で動くことすらできなくなり、身体が痛みに支配られるのだと告げられたとき、残りの時間をどうすごそうかと考えた。
動けなくなる前に、自分の足で歩けるうちに、行きたいところに行っておかなければ…そう強く思った。
そうして、海外に行こうと企てた。
将来に備えてコツコツ貯めてきた貯金で、行きたいところにいって遊んでやるんだと。
国内も、行ってみたい場所はたくさんあったんです。
もっともっと見たい景色があった。
でも、期限があるから、選ばなければいけない。
屋久島と旭山動物園にも行きたくて、海外から戻ってきてまだ動けたら行こうねって妹と約束してました。
その時は、叶いませんでしたが。
スペインとフランスに行こうとしたとき、現地で倒れて、生きたまま戻って来れないかもしれないと言われました。
それでも決行したのは、どのみち、先がないとわかっていたからだ。
人はいずれ皆亡くなる。
そして私はあとひと月しか生きられない。
どの道死ぬのであれば、どこで死ぬかではなくどう死ぬかを大切にしたい。
病院のベッドで過ごす時間はできるだけ少なくしたい。
最後の時間をどう過ごすかを大事にしたい。
やりたいようにやらなきゃ、死ねないんだと、そう思った。
身辺整理と、お葬式の準備と、残った時間をいかに充実させるか。
そのことしか頭になかった。
人は一人で生まれて来て、一人で死にゆくといえども、
やはり本当に一人では生まれて育つことはできないし、
この世を去る時も、人と関係なく死んでいくことはできない。
そういうことを、いずれ身に染みて分かることになるのだけれども、
あの頃の私には、そこまで周囲を考える余裕もなかった。両親の思いすらも。
自分なりに後悔のない人生だったとはいえ、やはり志は半ばなのだから、
その中で最期くらいは、思いきり充実させるんだという、
そういう思いで海外に飛び立ったのでした。
2012年05月04日 (金) | 編集 |
外来でした♪
採血も一発でとれて、約1時間半しか待たなかったし、全てが上手く回りました。
血液検査も、特に問題なしでした。
感謝。
こんな外来日が、続くといいね(^-^)
最近、私の事を知った方から
「余命を告げられた時、どんな気持ちでどう考えました?」
って聞かれることがありました。
変に距離をおかずに、面とむかってずばっと聞かれると、
竹を割ったようで、ある意味心地いいですね。
うーん。
どうだろうか。
諦めと、残りの人生楽しんでやるという気力が私を突き動かしていたように思う。
もちろん、はっきりと残りひと月だと宣告されるまでに、
そうなりうるであろうことは、ある程度想像ついていた。
(薬がきかないとか、再々発だとか、いい想像がしづらい客観的状況があったから)
それでも、面と向かって告げられた時は、
悔しさや怒りや、それらを通り越した黒い悲しみが私を支配して、
瞬間は、何をどうしていいのか分からなかったです。
「年を越すのも難しいし、
来年の桜は絶対見れない。
ここは治療をする人の病院だから、
治療できない戸田さんは、治療できない人を受け入れる病院を見つけて早くベッドをあけてほしい。」
そう突然いわれても、
ベッドをどうすればあけられるのだろうか。
どうすればそんな病院を見つけられるのだろうか。
分からなかった。
私は、ただただ茫然とするしかなかった。
そしてね、
それらの言葉を言われた瞬間に、私は、この世界にはもういなくなったんだ。
病院にすらいられない私は、
姿形は存在しているけれど、現世にもう居場所はないのだとわかった。
あと少しの命といえども、人が生きるということはただ息をすることではない。
と私は思う。
人は居場所がないと、生きてはいけないのだ。
社会生活から離れた私にとって、病院は私が生きるための場所だった。
生きるための治療をする人たちがいる場所から、
助からない貴女は出ていってほしいとはっきりと言われた時点で、
私はもう、今の世界には居場所がないと思ったんだ。
そして、悔しさと悲しみと絶望の中、
一時でもここにはいたくないという感情が芽生えました。
どうせあとひと月の命。
ここで死ぬくらいならば、路上でのたれ死んだほうがましだと考えて、
私は翌日退院したいと告げた。
それを医師の立場から、数日間思いとどまらせてくれたのは、
昔の病院の主治医先生だった。
あのときの私の思いというのは、
ただ、「余命を告げられた者の思い」という一言で片づけられるものではないと思う。
逃れない運命も、現実も、それはどうしようもないのだと思う。
ただ、あと少しの命でも、身体は辛くとも、人は最後まで人だ。
そのわずかな時間を、
心満たされて精神的に笑ってすごせるか、愛する人たちと楽しく過ごせるか。
悲しみと絶望の中で、泣きながら過ごすか。
その重要なキーとなる部分は、どうしても周りの人たちに左右されるのだと思います。
私には、守ってくれる家族がいたから、家族という居場所があったから、
まだ救いがあったように思う。
そして、私はある意味達観していたというか。
そういった物言いをされた翌日くらいには、
あぁ人生って、人ってそういうものなのかもしれない。と思ってた。
泣いても笑っても、もう少しで人生が終わるのだから、
人を憎んだり羨んだりしても仕方がないと割り切れた。
これは、「あと何週間だから」というデッドラインがはっきりと見えていたから、
そういう仙人のような気持ちの割り切りができたのだと思う。
うん、でも、このような思いをしたのは、私だけではないんでしょうね。
そして、これから死にゆく人が、もしくは亡くなっていった方の大切な人のうちどれだけが、
愛する人の死後に、怒り、悲しむパワーがあるのだろうかと思うのです。
私の心の中には、今でも疑問が渦巻いているけれど、
不思議なことに、あの直後から、とりたてて大きな怒りや悲しみはない。
心ある人達にたくさん助けてもらったことのほうが、はっきりと記憶に残っている。
そうして私は、残された期間で、めいいっぱい楽しんで生き切ろうと、必死で方策を練るのでした。
採血も一発でとれて、約1時間半しか待たなかったし、全てが上手く回りました。
血液検査も、特に問題なしでした。
感謝。
こんな外来日が、続くといいね(^-^)
最近、私の事を知った方から
「余命を告げられた時、どんな気持ちでどう考えました?」
って聞かれることがありました。
変に距離をおかずに、面とむかってずばっと聞かれると、
竹を割ったようで、ある意味心地いいですね。
うーん。
どうだろうか。
諦めと、残りの人生楽しんでやるという気力が私を突き動かしていたように思う。
もちろん、はっきりと残りひと月だと宣告されるまでに、
そうなりうるであろうことは、ある程度想像ついていた。
(薬がきかないとか、再々発だとか、いい想像がしづらい客観的状況があったから)
それでも、面と向かって告げられた時は、
悔しさや怒りや、それらを通り越した黒い悲しみが私を支配して、
瞬間は、何をどうしていいのか分からなかったです。
「年を越すのも難しいし、
来年の桜は絶対見れない。
ここは治療をする人の病院だから、
治療できない戸田さんは、治療できない人を受け入れる病院を見つけて早くベッドをあけてほしい。」
そう突然いわれても、
ベッドをどうすればあけられるのだろうか。
どうすればそんな病院を見つけられるのだろうか。
分からなかった。
私は、ただただ茫然とするしかなかった。
そしてね、
それらの言葉を言われた瞬間に、私は、この世界にはもういなくなったんだ。
病院にすらいられない私は、
姿形は存在しているけれど、現世にもう居場所はないのだとわかった。
あと少しの命といえども、人が生きるということはただ息をすることではない。
と私は思う。
人は居場所がないと、生きてはいけないのだ。
社会生活から離れた私にとって、病院は私が生きるための場所だった。
生きるための治療をする人たちがいる場所から、
助からない貴女は出ていってほしいとはっきりと言われた時点で、
私はもう、今の世界には居場所がないと思ったんだ。
そして、悔しさと悲しみと絶望の中、
一時でもここにはいたくないという感情が芽生えました。
どうせあとひと月の命。
ここで死ぬくらいならば、路上でのたれ死んだほうがましだと考えて、
私は翌日退院したいと告げた。
それを医師の立場から、数日間思いとどまらせてくれたのは、
昔の病院の主治医先生だった。
あのときの私の思いというのは、
ただ、「余命を告げられた者の思い」という一言で片づけられるものではないと思う。
逃れない運命も、現実も、それはどうしようもないのだと思う。
ただ、あと少しの命でも、身体は辛くとも、人は最後まで人だ。
そのわずかな時間を、
心満たされて精神的に笑ってすごせるか、愛する人たちと楽しく過ごせるか。
悲しみと絶望の中で、泣きながら過ごすか。
その重要なキーとなる部分は、どうしても周りの人たちに左右されるのだと思います。
私には、守ってくれる家族がいたから、家族という居場所があったから、
まだ救いがあったように思う。
そして、私はある意味達観していたというか。
そういった物言いをされた翌日くらいには、
あぁ人生って、人ってそういうものなのかもしれない。と思ってた。
泣いても笑っても、もう少しで人生が終わるのだから、
人を憎んだり羨んだりしても仕方がないと割り切れた。
これは、「あと何週間だから」というデッドラインがはっきりと見えていたから、
そういう仙人のような気持ちの割り切りができたのだと思う。
うん、でも、このような思いをしたのは、私だけではないんでしょうね。
そして、これから死にゆく人が、もしくは亡くなっていった方の大切な人のうちどれだけが、
愛する人の死後に、怒り、悲しむパワーがあるのだろうかと思うのです。
私の心の中には、今でも疑問が渦巻いているけれど、
不思議なことに、あの直後から、とりたてて大きな怒りや悲しみはない。
心ある人達にたくさん助けてもらったことのほうが、はっきりと記憶に残っている。
そうして私は、残された期間で、めいいっぱい楽しんで生き切ろうと、必死で方策を練るのでした。
2012年04月29日 (日) | 編集 |
先日の記事に、体調のことなどご心配いただいて、ありがとうございました。
暖かい言葉をいただいて、本当に嬉しいです。
感謝です。
昨夜、ジュンスカ・・・ジュンスカイウォーカーズのライブ@日比谷野外音楽堂に行ってきました。
中学から大学まではまったバンドのひとつ。
私の青春。
辛い時、悲しい時、嬉しい時、ジュンスカの音楽がそばにあった。

大学時代、日比谷野音での解散ライブに行きました。
2008年の秋に期間限定再結成ライブがあったのだけれど、
病院を抜け出して、先生には黙っていきました。
人ごみは禁止されていたから、ライブなんてこっそりいくしかないと思っていたよ。
退院できなかったらジュンスカのライブはもう行けない、ラストチャンスだと思っていたから、
感染症なんて構っていられずに、ライブに参戦した。
その後、震災があって、期間限定ではなく完全に再結成・復活するということになり、
今日は復活ライブでした。
日比谷には、大学生のときと同じ景色が、あったよ!
一部、撮影・録音可でした。
素敵だよね。
こういう試み。
MCだったかな…一緒に歳をとっていきましょう。
そんな言葉があった。
一緒に年をとる仲間がいるってことは、嬉しいですね。
歳をとっていくということは、大変で時には孤独だけれど、
幸せなことであって。
誰だってあと何年先の未来があるのかなんてわからないけれど、
歳を重ねていければいい。
そして、今を笑って過ごせればいい。

つい、先の事ばかりを深く考えてしまって、
今が楽しくなくなってしまうことってないですか。
私は日々を楽しく過ごしているつもりでも、それでも、未来のことに一生懸命になりすぎて、
あれっ?と覆うことがあります。
でもね、今日は、今日を笑顔で過ごすことで、明日も笑顔になれるような。
そんな気が少ししました。

明日は仕事だ。頑張るぞー♪
暖かい言葉をいただいて、本当に嬉しいです。
感謝です。
昨夜、ジュンスカ・・・ジュンスカイウォーカーズのライブ@日比谷野外音楽堂に行ってきました。
中学から大学まではまったバンドのひとつ。
私の青春。
辛い時、悲しい時、嬉しい時、ジュンスカの音楽がそばにあった。

大学時代、日比谷野音での解散ライブに行きました。
2008年の秋に期間限定再結成ライブがあったのだけれど、
病院を抜け出して、先生には黙っていきました。
人ごみは禁止されていたから、ライブなんてこっそりいくしかないと思っていたよ。
退院できなかったらジュンスカのライブはもう行けない、ラストチャンスだと思っていたから、
感染症なんて構っていられずに、ライブに参戦した。
その後、震災があって、期間限定ではなく完全に再結成・復活するということになり、
今日は復活ライブでした。
日比谷には、大学生のときと同じ景色が、あったよ!
一部、撮影・録音可でした。
素敵だよね。
こういう試み。
MCだったかな…一緒に歳をとっていきましょう。
そんな言葉があった。
一緒に年をとる仲間がいるってことは、嬉しいですね。
歳をとっていくということは、大変で時には孤独だけれど、
幸せなことであって。
誰だってあと何年先の未来があるのかなんてわからないけれど、
歳を重ねていければいい。
そして、今を笑って過ごせればいい。

つい、先の事ばかりを深く考えてしまって、
今が楽しくなくなってしまうことってないですか。
私は日々を楽しく過ごしているつもりでも、それでも、未来のことに一生懸命になりすぎて、
あれっ?と覆うことがあります。
でもね、今日は、今日を笑顔で過ごすことで、明日も笑顔になれるような。
そんな気が少ししました。

明日は仕事だ。頑張るぞー♪












