はじめまして、戸田梨恵(うみねこ)です。 2006年7月から、白血病(ALL:急性リンパ性白血病)の治療をはじめました。 弟と妹から3座違うハプロ移植を2回して、今は寛解を維持しています。日々の出来事を綴っていきたいです。コメント、大歓迎です。
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数ヶ月前の話です。
そのとき、書いておいたものを本日UP!

遅いよね(笑)


若い女性、血液疾患の患者限定のお泊まり会に出席しました

本当に、素敵な素敵な出会いでした(´▽`*)

尽きることないおしゃべり。
家族や健康な友達には話すことすらできない悩みを打ち明けられる場所でもある。
前へ進むためのパワーをもらえる場所でもある。

不安に思っていること、これからのこと、相談できて嬉しかった。
そして、同じ思い乗り越えてきた先輩方の存在に、勇気をもらった。

近くに同じ病気で、同じくらいの歳で、治療が上手くいっている友達がいない・・・そんな私にとって同じような入院治療をしたり、同じようなものを失ったり、大事に思ったり。そんな女性と話せたことは本当によかった。

白血病になった独身女として特有の悩みってのはある。

見た目は手術したわけでもなんでもなくて。
治療も上手くいっている。
でも今普通に生活できかけているからこその悩みがたくさんあって、辛くって、でもそれって、ゼイタクなのかと思ったりもして。

子供がいたら、病院の患者仲間にも同じように入っていけるのかもしれない。
私が悩んでいるのをしってるから、気にしてくれる方もいて、
でもそこから、自然と距離ができてしまって。
楽しく会話していても、ときどき疎外感を感じてしまったりもして。
逆に気にせず、接してくれることで傷つくときもあって。
だからって、1人でいると辛いわけで。

嫌われるのを承知で本音を書いてしまえば、
やっぱり、同じ病気を経験していても、
子供がいる人、結婚してる人に対して羨ましいって気持ちがあるんだよね。
だって、夫婦愛が、親子愛が、素敵すぎて、近づけないんだもん。

そしてこういうネガティブオーラに包まれてると、
幸せな友達と距離ができていく。
それもまた、辛いよね。

ただやっぱり、この先、出会いはあるの?って不安だし、
つきあって結婚しようってときに、何をどう話すのか?って思うし、
同年代の男友達が「おれ、こどもほしいから、結婚したい」
とか言ってるのをきくと、門前払いにあったような気になるんだよね。

そういうありがちな普通の話題・・・
「こどもほしい」とか「生理痛が」とかにわらって対応するとき、
今まで通りって訳にはいかないんだよね。
さすがに、そのくらいじゃほとんどダメージはうけなくなったけどさ。

だから、同じ悩みをもつ人たちの集まりというのは、
本当に貴重だと実感している。
何しろ、人数も少ないし。


今回は、そういう無理をしなくてよいメンバーのあつまりだったので、
独特の薬の話も、再発の不安も、移植のことも、卵子凍結しようとしたことも、子供のいないこれからの人生のことも、誰かと話せたら、それだけでラクになれた。

聞いてもらってこころのケアになったって感じ。
同じ思いをした人に、同じ辛かったことを話して、
そのほとんどは、卵子凍結のときの辛かった思いなんだけど、
経験してない親や看護師さんに話すのとは違って、
同じ気持ちを経験して知っていてそれを乗り越えた人に聞いてもらえたのが、
本当に私にとってかけがえのない時間でした。

私は、これから先の人生を描けなくて、悩んでたんだってことが、よーくわかった。

子供がいない人生、独身の人生、そして、子供がいなくても養子とかそういう方法も現実にあるんだとか。、
そういう女性の先輩たちが身近にいるだけで、
あっ、私ももっと幸せになれるんだ、って安心できた。
自分の将来が描けたっていうか。
同じ病気をのりこえて頑張っている人がいるんだ、ってパワーをもらった。

どれだけ泣いただろう。悲しみの涙でありつつも、心を浄化させるプラスの涙だった。
出会いは私にとって形のない財産であり、かけがいのないものだと思う。


        

お会いした中には、有名な方もいたので、すごく刺激を受けた。

何であれ、自分の道を明確に貫いていくこと、それを公に表明することは、それ
に対して賛同する人もいる一方で必ず敵がでてくるのだろう。
それでも自分の意思を貫いて何かができたら、すごいこと。
何かを変えていけたら、すごいこと。
私はそういうことができる人を心から尊敬します。

敵を作るのが怖くてあたりさわりのない道を歩むより、
誰にでもいい顔ばかりして生きていくより、
できるだけ自己主張して自分の道を歩いて行きたいと、私は思った。
(もともと自己主張は強いと言われるけど(^^))
その道には敵も増えるかもしれないけど、見方もいるはず。
その見方はきっと、心からの見方なんだろうって思うようになった。

こんな単純なこと、私は今まで気付かなくて、
患者会でおおーって勉強して帰ってきたら、
とっくにそのことに気付いていた人はいたってことがわかった。

もうその人にはこの世ではあえないのだけれど。

学生時代にね、
途上国の人のためにNGOや国連で働く夢を持つ友達がいた一方で、
「ボランティアとは自分が満たされてる前提で人を助けて自分の心を満たす、偽善だよ」
と言ってのける子もいた。
私はそのとき、偽善といわれたとき、その発言に逆う理由を持たなかった。


でも今は違う。

偽善でも偽善すらないよりは、素晴らしいことだって確信している。

偽善でも何でも、それで例えば、骨髄バンクの登録者が増えた結果、人が助かれば素晴らしいし、たとえその心を偽善だと言い切るとしても、偽善すらないあなたよりは自分の危険を冒しても誰かを救いたい心があるなんて、間違なく素敵なことなんだと思う。

以前の記事だけど、ドナーになる男性に、
「何故そこまでできるんですか」
という問いかけに対する回答。
「人の命を人生に1回くらい救うのもいいんじゃないか」
って。

これを偽善というかいわないか。
偽善すらできない人には、人の善意を偽善だと切り捨てる権利などないと思う。

でもね、
私には、自分のことで精一杯で、目の前の人すら幸せにすることも難しいんだな。

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